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行動する傍観者になれなかった瞬間

更新日:5月15日


連載「Voice Up Japan Meijiに聴く」では、様々な疑問をVoice Up Japan Meijiのメンバーたちに投げかけます。メンバーとして活動するみんなは、何を考え、どう行動を起こしているのでしょうか?

今回は、イベント運営チームのリーダーを務めるあいねさんにインタビューをしてみました。




聞き手・編集:ひな




「行動する傍観者」って?




── 「行動する傍観者」は、ある対立をただ見るのではなく、その状況を止めるために行動する第三者のことを指しますよね。あいねさんは、「行動する傍観者」という言葉をどこで知りましたか?



あいね:

Voice Up Japanに入ってから知りました。性的同意プロジェクトに参加したら、プロジェクトリーダーの方がその話をされていて。初めて聞いた時は、「矛盾した言葉だな」という印象でしたね。でも、すごくすんなり入ってきた瞬間があったんです。「行動する傍観者」って、“active bystander”という英語からきていますよね。英語の“bystander”って、by(そばに)・stand(立つ)・er(人)、つまり、「そばにいる人」だなと。そして、“stand”という単語は、動詞にすると“stand up for〜”(〜を擁護する)って使われたりもして、それに気づいた時に、“active”と“bystander”の繋がりが見えたんです。「ああ、こういうことなんだ」って理解できました。




── 「行動する傍観者」という言葉は、直訳がそのまま使われている。つまり日本にはなかった言葉だということが生々しく伝わってきますよね。ご自分で、何かで調べたり見たりはしましたか?



あいね:

やっぱり自分から調べにいかないと、あるいはVoice Up Japanみたいに、知っている人たちの中にいないと、今はまだ出会えない言葉ですよね。他の明治支部のメンバーがシェアしてくれた、行動する傍観者についての動画(シオリーヌさんの「#ActiveBystander=行動する傍観者」)を見て、「日本でも、少数ではあっても認識している人はいるんだな」って思いました。あとは、YouTubeでUN Womenが公開している「Active bystander」という動画も、「自分のやり方で行動すればいいよ!」みたいな押し出し方が私はすごく好きです。




── ポップなデザインの動画も結構ありますよね。行動する傍観者の概念が注目されてきている理由は何だと思いますか?



あいね:

日本において重要視されているかどうかは疑問なところです。ただ、概念が広まりつつあるのは、教育現場における、思考力、判断力へのフォーカスの増加が背景にあるのかなと。行動する傍観者についての動画も、若年層の人たちが制作していますよね。昔は、学生たちは教えられたものをそのまま受動的に飲み込むことが正しいとされてたとよく聞きます。でも今は、それが正しいのかどうかは別として、とにかく自分で考えて行動をするための判断力が重要視されているのではないかと。そういう背景もあって、徐々に広まってきているのではないでしょうか。




── 個人の考えや意思が重要視されてきている。



あいね:

でも、協調性は日本の文化でもありますよね。「周りの目を気にする」って、よく日本人が言われることだと思いますが、そういうのはまだ大部分であると思います。協調性は必要な反面、「行動する傍観者」という概念が広まりづらい原因でもあるのではないかと。それゆえに日本で広まるのには時間と力が必要だと思いますが、海外ではその考えがどれくらい浸透しているのか、どうやって広めようとしているのか、気になりますね。






行動しない傍観者になってしまった




── 実際に、行動する傍観者を見たことはありますか?



あいね:

あります。私が高校3年生くらいの時に、高田馬場で、すごくぐったりしている方がいたんです。人通りが多い場所なのに、誰も話しかけなくて、みんな素通りしていました。そんな中で、駆け寄って「大丈夫ですか?」って声をかけた人がいて。声をかけられた人は、もう反応できるような状態ではありませんでした。そしたら、その人が「水買ってきますね!」って言って、すぐに買ってきて水を渡していたんです。それを見ながら私は何もできず、行動しない傍観者になってしまっていました。「かっこいい、すごいな」って思っていただけだったんですよね。私は感動して電車1本乗り過ごしましたが(笑)、行動する傍観者になれなかったことは今でも後悔しています。よく、事故現場にただ集まってくる人がいるじゃないですか。私としては、その一人の気分だったんですよね。ただ見ているだけ。「この後どうなっちゃうんだろう」みたいな。今考えると、やっぱり行動しないで見てるだけっていうのは、違ったなと思います。




── 声をかけられている人と、声をかけている人、そしてそれを見ている人、という3者がお互いを見る距離って、きっとすごく違いますよね。



あいね:

違うと思います。実はもう一つ、本当に最近なのですが、自分が行動する傍観者になれなかった瞬間がありました。私はアルバイトに行くために、いつもバス停で30人くらいの列に並ぶんですね。ある日、私は前から10人目くらいの位置でいつも通りバスを待っていて、結構前に人がいました。そしたら、外国人らしき10歳くらいの女の子が、前から一人ずつ、「すみません」って声を掛けながら、お菓子の包みを渡そうとしていたんです。何をしているのか、何のためにお菓子を渡そうとしているのかもわからず、声を掛けられた人はみんな、無視をしていました。そうしてその子は無視され続けて、どんどん私の方に近づいてくるわけですよね。自分の番がくると分かって、心の準備をしていました。無視するのも違う気がしたので、何のためにそれをやっているのかを聞いて、その後に自分で判断してどう行動するか決めるつもりでした。でも、いざ自分の番になった時に、「あ、大丈夫です」ってすぐに言っちゃったんですよね。怖くなったというか、周りの目を気にしてしまって。その子はそのまま、私の後ろに並んでいる人たちにも無視され続けていました。その子にとても申し訳ないと思ったし、周りに合わせた自覚があったので、悔しくてすごくモヤモヤしました。




── どんなお菓子だったんですか?



あいね:

お菓子を最初差し出された時に、平仮名で何かが書かれているのは見えたんですよ。それも、何かを見ながら写したような文字で。でも何が書かれてあるのかはその時読めなかった、というか、読まなかったんですよね。




── 何が書かれてあったのか、気になりますね。



あいね:

気になります。でも、無視する人たちの気持ちもわかります。お金をもらうためにそういうことをしているのかもしれないし。でも、それは私の憶測でしかないわけです。実際どうなのかは分からないから、そこで一言でも声を掛けられたら良かったなって思います。この話には続きがあるのですが、1週間くらい経った時に、同じ子が、3駅離れた場所で同じことをしていました。その子はまた同じように、私が並んでいたバス停の列で前から順番に声を掛けていて。私はその子にすぐ気がついて、すごくモヤモヤしていたので、「よし、今日は」って思いました。でも、やっぱり無理だったんですよね。自分の番になって、「いいです」ってすぐに断っちゃったんです。「自分、何やってんの?!」っていう驚きと悔しさでいっぱいでした。

その時、私の後ろに並んでいた男女が、「なんであんなことしてるんだろうね、もっと違うやり方があるのに」「なんで日本にいるの」って言っていました。その人たちに対しても、自分に対しても、すごく悔しかったです。その陰口を止めるには、私がその子と話せば良かったんだと思います。お菓子を配っている子に何か被害があったわけでもないし、陰口に介入して何かを言うのは、行動する傍観者としては何か間違っているような気もするので。




── さっきの「協調性」ではないですが、同じ目的でその場所にいるという共通点が軸となって、バスに並んでいた30人の間である種の社会のようなものが生まれているような気がします。1回目も2回目も、思うように反応できなかったことの原因は同じだと思いますか?



あいね:

そうですね。今の話で言えば、私は周りの目を気にして、自分がその列の社会でのマイノリティになりたくなくて、咄嗟に出た判断が「すぐに断る」だったのかなと思います。




── お菓子を差し出す女の子に話しかけるリスクは、何だったのでしょうか。



あいね:

正直、そこまで考えられていなかったかもしれません。ただ、例えば私がお菓子を受け取ったのを見てお金を要求されたりすると、それは自分にとってのリスクですよね。おそらく、それはバスに並んでいた人たちの多くが考えていたことだと思います。もし私がその子に話しかけてお金をせがまれてしまったら、周りで見ている人たちは「いや、話しかけたんだからそうなったんでしょ」って思うと思うんです。もしそうなってしまったら、結局私がその列の中でのマイノリティになって、「それは考えたら分かるでしょ」って思われてしまうんじゃないかって。

でも、次会った時には、今度こそ話したいです。たとえお金が目的だったとしても、それはそれでいいと思うし、まだ日本にはそういったコミュニケーションに馴染みがないだけですよね。私がブラジルに旅行に行った時に、物乞いに出会うことは日常茶飯事でした。もしかしたら、その子がそういう国から来ていて、日本では馴染みがないことを知らないのかもしれないですよね。




── どんどん格差が広がっていく資本主義社会の中で、様々な経済状況の人たちがどう共生していくべきなのか、考えていきたいです。



あいね:

そうですね。列に並んでいた人の中には、無視することが正しいと思っている人もいると思います。性被害とかもそうですが、その場で瞬時に判断しなければならないのって、すごく難しいことですよね。






概念だけでは足りない




── あいねさんの話を聞いていて、行動する傍観者や経済状況の格差など、色んなことを考えました。個人としてでも団体としてでもいいのですが、行動する傍観者という概念を広めるために、これから何ができると思いますか?



あいね:

やっぱり、今の時代はSNSの力が大きいと思います。そこからまず知ってもらう。だんだん見る人が増えれば、シェアする人も増えるし、そうすれば、多くの人に見てもらえるので、SNSの力は馬鹿にならないなって。発信し続けていくことは大切だと思います。




── 高校三年生の時に経験したものと、最近経験したものの違いの1つとして、あいねさん自身が「行動する傍観者」という言葉を知らなかったというのがありますよね。その違いは、心境や行動の差に繋がると思いますか?



あいね:

正直言うと、私は咄嗟の判断を求められた時に、「行動する傍観者」っていう言葉が出てこなかったんですよね。でも、おそらくその言葉を知らなかったら、このエピソードを振り返ることはなかったと思います。今まで、自分が第三者であった時のことについて、考えたことも、話したこともなかったので。「行動する傍観者」という言葉を知ってることで、それについて考える機会ができるんじゃないかなと思います。




── 反省が繰り返されると、その反省が体に染み付いて、そうしたら、咄嗟の時に武器になるのかもしれないですね。



あいね:

やっぱり、体に染み込ませることは大事だと思います。バス停の時も、「行動する傍観者」という言葉は知っているけれど、実際どういう行動をすればいいのかが分かりませんでした。もっと深く考えたり勉強して、突然直面した状況で行動する判断ができるようになりたいです。本当にこの考え方は必要ですよね。数にすると、被害者・加害者よりも第三者の方が圧倒的に多いじゃないですか。第三者へのアプローチっていうのは、本当に大事だと思います。




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