• 位晏 開沼

【特集】『未来よりも過去の評価から・菅政権を振り返る』


【 突然の辞任表明】



2021年9月3日。菅義偉首相が来たる自民党総裁選挙への不出馬を表明した。


事実上の首相辞任表明である。

数日前まで総裁選への出馬を力強く語っていただけに、寝耳に水だった。

総理の座を退く名目は、あくまでも新型コロナウイルスの感染防止策に専念するため。


だが、この辞任理由を聞いて腑に落ちた人はいたのだろうか。

実際のところは、首相自らが主導した感染対策が奏功せず、二進も三進もいかなくなり、党内のみならず国民からも求心力が低下し、退陣に追い込まれたのではないのだろうか。



【メディアへの違和感】



菅首相が辞任を表明するやいなや、次期総裁選に関するニュースが、テレビをはじめとする様々なメディア媒体で大半を占めるようになった。


自民党内における派閥の力学や総裁選へ手を挙げた各候補者の水面下での動きなど、普段は国民が立ち入れない領域で起きていることを報道機関は物語調に伝える。


確かに、今後4年間(あくまでも任期)にわたり我が国の舵取り役になり得る人物に関する情報の発信は大切だ。


しかし、菅首相のこれまでの歩みを振り返ることの方が重要ではないだろうか。


なぜなら、これまでの政権が行ってきたことを良くも悪くも評価することが選挙の役割だからだ。


現在の総裁選に関する一連の報道を見ていると、自民党内のトップが代わるだけですべてのことが心機一転リセットされ、過去に起きた問題を風化させてしまうのではないかという懸念を覚える。


過去を振り返ることなしに、新しい時代に向けて前進することはできないのではないか。


そこで、本稿では菅首相の在任中に多くの物議を呼んだ①日本学術会議問題②新型コロナウイルス対策に焦点を当て、振り返っていこうと思う。また、今秋に迫る衆議院議員選挙についても最後に言及しようと思う。



日本学術会議任命拒否問題



菅氏が首相の座に就任してすぐに着手したのが学者提言機関への介入であった。豊富な学識に基づき、政府への政策提言を行う日本学術会議が推薦した新会員候補6人の任命を、首相が拒否した問題である。


日本学術会議は内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う「特別機関」として設立された。会員の推薦・任命に関しては、日本学術会議法第7条2項と第17条に詳しく記されている。


それによると、「日本学術会議が候補者を推薦し、内閣総理大臣が任命する」と規定されている。つまり、総理大臣は任命する権利はあるものの、任命を拒否する権限は有していない。


それゆえ、候補者として推薦された学者6人の任命拒否は、憲法に保障されている「学問の自由」を侵害する行為で有りかねない。


ことさら問題なのは、首相が説明責任を果たしていない点である。


6人の任命を拒否するのは何かしらの理由があるはずである。だが、理由を問われても明確な根拠を示さず、真意をはぐらかすかのような説明に終始している


この問題が明るみに出てから間も無く1年が経過しようとしている。

いまだに政府や首相は説明責任を果たそうとせず、国民が忘れるのを待っているかのようにも思える。


候補者6人の中には、前安倍晋三内閣で制定された特定秘密保護法や安全保障関連法に否定的な意見を表明していた学者もいる。故に、意図的に任命を拒否したのではないかという推測も広がっている。


疑念を抱かれること自体が普通のことでは無いが、学者や国民が納得するような説明をしてもらいたい。


無為無策な感染症対応



日本国内で新型コロナウイルス感染症第一例が確認されたのは2020年の1月。


当時、菅氏は第3次安倍晋三内閣で官房長官として安倍氏を下支えしていた。

安倍氏が体調不良を訴え、政権が変わる際に菅氏は「安倍政治を継承する」と明言した。

その結果、及び腰な感染症対策も踏襲されてしまった。


代表的なのは、国民の安心・安全な暮らしを軽視してまで執着し続けた「Go To キャンペーン」だろう。


新型コロナウイルスの感染拡大により疲弊していた経済活動を回復させることを目的に取り組み、昨夏から実施された。


「Go To」の実施に対しては医療従事者や全国の各都道府県知事、さらには感染症対策専門家からも否定的な声が上がっていた。


しかし、昨秋に感染者数が急増していたにも関わらず、取り止めることはなかった。

観光業界に強いつながりを持つ二階俊博幹事長の強い要望もあり、「Go To トラベル」の中止に躊躇したとも言われている。


「Go To」の強行により県境をまたぐ人流が増加し、国内での感染者数が急増したことは否めないのではないか。しかしながら、こうした現実から目を逸らし、人命を軽視し続けた責任は重いだろう。


【届かない言葉】



昨年9月に菅氏が就任して以来、上述したことの他にも数々の問題が浮上した。


自身の息子が関与した総務省の接待問題、2019年参院選広島選挙区で起きた大型買収事件で買収の原資となった資金(1億5000万円)の出所を明らかにしないなど、挙げれば枚挙にいとまがない。


とりわけ、個人的に1番問題に感じているのは、菅首相が発する一語一句が心に響いてこないことである。


新型コロナウイルス禍で首相の記者会見や国会での答弁を意識的に見るようになった。

きっかけは他国のある女性リーダーの演説を聞いたことだった。その女性は、ドイツのメルケル首相である。


ドイツ国内でも新型コロナウイルスが猛威を振るい、ロックダウン(都市封鎖)をせざるを得ない状況に陥っていた。そんな中、ある日メルケル首相の会見を目にしたが、彼女の「必死に伝えようとする姿勢」に目を奪われた。


彼女の視線はカメラの向こう側にいる国民の方を向き、時に身振り手振りを交え、言葉を詰まらせる様子も見受けられた。彼女が話すドイツ語は残念ながら理解できなかったが、見ている人々に対して強くお願いをしていることは重々伝わってきた。


一方、我が国の首相はどうだろうか。


就任当初、「令和おじさん」や「パンケーキ宰相」などの愛称で親しまれたこの人の視線はだいたい手元の原稿用紙に向けられている。


会見では、記者からの質問に対して判で押したような回答を繰り返すばかりで、真摯に答えようという姿勢は微塵も感じられなかった。


終わりの見えないウイルスとの戦いの日々を送っている時にこそ、欠かせないのは一国の先頭に立つ人の「言葉」ではなかったか。


本来であれば、国民と政府が一体となってこの未曾有の危機を共に乗り越えなければならなかったはずである。


しかし、両者を繋ぎ止めるはずだったはずの言葉は力を失い、互いの間には大きな溝が生まれてしまった。


【来たる衆院選に向けて】



ここまで菅首相による約1年間を振り返ってきた。最後に、迫る2021年衆議院議員選挙について少しだけ触れようと思う。


衆院選が近づくにつれ、大学の友人やアルバイト先の同僚と選挙について論を交える機会が増えた。そこでよく耳にするのが、選挙に行くかどうかで迷っているという声だ。


確かに、”自分が1票を投じたところで国政が大きく変化するという実感がない”という気持ちも理解できる。また、どの政党にも票を投じない、つまり無投票という選択も民意を表現する手段の1つだろう。


では、いま思い悩んでいるすべての人々に問いたい。投票できる権利を当たり前のものだと思っていないだろうか


世界には自分の意思で選挙に立候補、さらには投票もできない国が存在する。

まさしく当てはまるのが香港やミャンマーだろう。


香港では、国家安全維持法の施行により、選挙制度が瓦解してしまった。ミャンマーでは、軍事政権がクーデターを起こし、政権をむりくりに掌握した。


結局、声を上げたくても上げることができない社会が築かれてしまった。当然のことながら、投票という民意を反映させる手段もない。


そうした中で、日本という選挙権が与えられている社会で生きていることの意味をもう1度考えて欲しい。


投票できる権利が決して当たり前のものではないということを頭の片隅に置き、各政党が掲げる公約・政策を十分に吟味しながら票を投じよう。



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